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戦略とは捨てること

将棋初心者は、相手が攻めてきたら全部に対処してしまいがちです。私もそうでしたが、将棋は自玉を取られたら負けなので、相手が自陣に入って来ないよう、駒を動かしたり、歩を打ったりして、守ることに必死でした。

2箇所から攻められたら、「両方を守れない。どちらを守ればいいんだ。どうしよう」となってしまいます。うまく攻めていても、相手が攻めてきたら、自分の攻めを中断して、まず守ってしまう。負けたくないので、安全を確保してから攻めるというスタイルです。リアクティブ(問題が起こってから対処する)な状態で、これではなかなか勝てません。

「駒が3つぶつかっていれば初段」という将棋の格言があります。駒が3つぶつかるということは、駒がぶつかっても、それを取らずに、他の手を指したということです。上級者は、序盤が終わり、いざ勝負となって駒をぶつけられても、安易にその駒を取らずに考えます。初心者は、取れる駒はすぐ取ってしまいますが、相手は取られると分かったうえでぶつけてくるので罠かもしれません。簡単に駒を渡すことはないでしょう。

上級者の将棋では、そのような誘いには乗らずに、次の手で、別の地点で駒をぶつけ返すことがあります。このような応酬があると、格言のとおり、駒が複数の拠点でぶつかりあった状態になり、これくらいになれば初段クラスということです。駒がぶつかりあった全部の地点で勝つことは不可能なので、「ここだけは守って、あとは捨てよう」「ここは捨てて、ここで勝負しよう」という思考になります。「両方を守れない。どちらを守ればいいんだ。どうしよう」と迷うのではなく、「ここは捨てる」と決断します。受け身ではなく、プロアクティブ(前向きで、先を見越して自発的に動く)な姿勢です。

ビジネスの現場でも、新規事業計画作成を初めて任されたときに、同じような経験をしたことがあります。これまで温めていたアイディアを載せることができると思って、ワクワクしながら、パワーポイント資料をどんどん作り、数十ページの大作をつくりました。

しかし、いざ上司に見せたら、「アイディアがあるのは分かるが、総花的で、何が言いたいのかよく分からない。実現可能かどうかよく分からない」と言われたことがあります。荒唐無稽なアイディアをいろいろ盛り込んだだけで、投資する価値があるとは思えなかったということです。

“戦略とは何をやらないかを決めることである”(マイケル・ポーター 米ハーバード大学教授)

名言の解説: 「やればいいこと」「できたらいいこと」の選択肢は常に無数にある。だが経営資源や時間は限られており、そのすべてを実践することはできない。経営者は、10万ある選択肢のうちいくつかを残して、残りの9万9900以上の可能性を切り捨てるような判断をしなければならない。
引用元:実践の奥義――経営の巨人の教えを生かす(3) ポーター(日経ビジネス2012年12月3日号より)※肩書きは雑誌掲載時のものです

いろいろやりたくなってしまいますが、我慢して捨てることが大事です。ほめられた人の新規事業計画を見ると、ページ数も少なくとてもシンプルなものでした。目新しいものではなかったですが、ターゲットが絞られており、分かりやすく、実現可能性が高いことは一目瞭然でした。

将棋には”捨て駒”という言葉があります(ビジネスでも使いますね)。戦いを優位に進めるため、あえて駒を犠牲にする戦略です(あえて相手が取れるところに駒を打つ)。”終盤は駒の損得より速度”という格言もあります。終盤は相手の駒を取るよりスピードが大切。駒を捨ててでも相手玉にドンドンせまっていったほうがよいという意味です。勝つための戦略として、捨てることの重要さが分かります。

なぜ捨てられないのか

捨てることの重要さを頭で分かっていても、なかなか捨てられないと思います。どうしても「捨てる=負けに近づく」と思ってしまいます。”終盤は駒の損得より速度”といっても、駒を大損したら、勝てる勝負も負けてしまいます。終盤に優勢と判断し、大駒を切って詰ませにいったら、攻めが続かず、かえってその大駒で反撃されて負けることもあります。駒を切ることはリスクがあるので、できれば、駒損しない状態で勝ちたいと思ってしまいます。

新規事業計画を作る際は、思いついたアイディアを入れないのはもったいないと思い、どんどん盛り込んでしまいがちです。「たくさんのアイディア=よいこと」と思ってしまいますし、どれかひとつ当たればいいやという思いもあります。切ってしまったアイディアが、実は一番よかったということにもなりかねないので、切ることを躊躇します。

目的、方針がハッキリしていれば捨てることは怖くない

”捨てたらもったいない”、”捨てたら損をする”という守りの思考から、何をやってもうけるか、いかにして勝つかという主体的(プロアクティブ)な思考に変えると、捨てることが怖くなくなると思います。余分なものが消えていき、シンプルかつユニークで、力強いものになります。

飲食店なら、自店の強みを把握し、どうやって競争に勝つかを考えます。私の勤務先の近くには焼肉店があり、そこのランチは1,300円の牛丼だけです。サラリーマン街で、周りの店は1,000円以下のランチばかりです。それと比較したら高いですが、いつも繁盛しています。1,300円と高いですが、A5ランクの肉を使っていておいしく、肉の量も多いので、満足感があります。この味、肉の量なら、1,300円でも安いと思ってしまいます。牛丼といったら、チェーン店のリーズナブルな牛丼を想像しますが、それとは一線を画したもので、驚きもあり、満足感が高いです。

おそらく肉の仕入れに自信があり、少し高くても、よいものなので、お客さんが来てくれるという読みで、それが当たったのだと思います。周りの店にあわせて、1,000円以下で、そこそこのものを出すより、自信のある肉が前面に出る牛丼で勝負したのだと思います。安くてメニューが多くても、どれも味がパッとせず、繁盛していない店もあります(500円程度のこだわりのないカレーをとりあえず提供するとか)。自分の強みを知って、どこで勝負するか、どのような店にするかという方針・ビジョンを明確にして、不要なものは捨てる勇気が必要です。

「まず何のために買収するのかを明確にしていないとダメです。買収目的がはっきりしていないと、途中でいろんな問題が起こります。目的がないと交渉をやっていてもいい条件をとれないし、当局の競争法の審査にひっかかったりします。契約交渉時に『何を譲って何を絶対に取らないといけないか』という目的がはっきりしていないとうまくいかない。本当に買収を考えているなら、例えば、金融機関から『いい出物がありますから』という始まりではなく、主体的な目的がないとまずいですね」

引用元:「相手の社長にほれて買収するのは一番危ない」新貝氏

M&A(企業の合併や買収)を何度も成功させているJTの新貝康司副社長は、”契約交渉時に『何を譲って何を絶対に取らないといけないか』という目的がはっきりしていないとうまくいかない”と言います。”捨てる”という言葉はネガティブかつ強烈で抵抗があるので、”譲る”と考えたほうが気が楽かもしれませんね。目的がはっきりしていないと譲れない。裏を返せば、目的がはっきりしていれば譲れるということです。

将棋も同様で、どのように攻めるか、どのように守るかという方針が決まっていないと駒を切れません。プロ棋士を大局観により、大まかな方針を決めて、ねらいを定めて、大胆に駒を切って、勝負を進めます。

ボードゲームに置いて、部分的なせめぎ合いにとらわれずに、全体の形の良し悪しを見極め、自分が今どの程度有利不利にあるのか、堅く安全策をとるか、勝負に出るかなどの判断を行う能力のこと。

大局観に優れると、駒がぶつかっていない場所から意表を突く攻めを行うなど、長期的かつ全体的な視野のもと手を進めることが可能となる。反対に大局観が備わっていなければ、盤上の一部での駒のぶつかり合いや、短期的な駒の損得しか考えられなくなる。

引用元:ウィキペディア「大局観」

大局観は一朝一夕では身につきません。定跡の研究、実践を通して、トライアル&エラーをしながら養う必要があります。

将棋とビジネスの共通点(目的と手段)にあるとおり、終盤は、相手玉を取るという将棋の目的をより意識して、ひとつひとつの手を指していくことが大切です。飛車・角を捨てても、相手玉を取れば勝ちです。駒への愛着があるかもしれませんが、目的と手段を取り違えないようにする必要があります。”肉を切らせて骨を断つ” ”死中に活あり” という格言のとおり、無傷で勝つことは難しいです。

将棋もビジネスも、大局観をもって、捨てる勇気、やらないことを決める勇気が大事ですね。じっくり考えて方針を決めたら、あとは必死に行動するのみ。プロ棋士のように駒を大胆に切って勝つ、かっこいい将棋が指せるようになりたいです!

 

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