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柔道とJUDO

リオ・オリンピックは本日(8/21)閉幕します。日本のメダル獲得数は過去最高の41個で、大きな盛り上がりを見せています。前回ロンドン大会で良い結果が出なかった柔道は、今回男女あわせて12個のメダルを獲得し、お家芸復活と騒がれていますね。

柔道で日本が世界相手に勝てなくなった理由として、”柔道とJUDOの違い”がしばしば話題に挙がります。柔道とは日本の伝統的な柔道のやり方で、相手と組んで、間合いをとってから技を掛ける柔道のことです。一方、JUDOとは世界の柔道のやり方の呼び名で、大きな体格・パワーを活かして、相手と体を密着させて投げるとか、しっかり組まずに戦う柔道のことです。モンゴル相撲等の各国の民族格闘技のエッセンスを取り入れた柔道とも言えます。

男子100kg超級の決勝で、原沢選手とフランスのリネール選手が対戦し、惜しくも原沢選手が敗れました。リネール選手は開始早々、原沢選手の奥襟を持ってプレッシャーをかけ、それを嫌った原沢選手が故意に振りほどいたと判断され指導(ペナルティ)を受けました。リネール選手は、あとは組まずに逃げ回り、指導の差で勝ちました。リネール選手が最後の数分、組まずに逃げ回っているとき、観客からブーイングを受け続けました。

伝統・美しさ vs 勝負へのこだわり

これに対する意見は分かれていて、

  • 逃げてばかりで本来の柔道とは別物になっている
  • 美しくない
  • ずるい
  • 見ていてつまらない
  • 真っ向勝負しろ
  • 勝てば何でもいいのか

という意見と、

  • 組み合うことを避けるのがリネールのスタイルで、これで彼は何年も勝ち続けている
  • 日本の柔道に勝つための戦略
  • リネールに対する対策を対戦相手がとれなかっただけ

という意見があります。

武道・伝統という観点では、美しさ、正々堂々と戦うというところに重きが置かれ、勝負という観点では、きたなくてもとにかく勝つ、どんなに美しくても勝たないと意味がないという思考になると思います。

奇襲はしない、相手が怪我をしているところは攻めない、一本を取る柔道を目指すというように日本人は勝負事に美学を求める傾向があると思います。勝負に対する執着と同時に、美しさを求めます。勝っても、一本勝ちでないと反省する選手もいます。日本の美しい柔道を世界に披露したいと発言する選手も多いです。

美しいということは効率的であり、無駄がないことの表れなので、それを突き詰めれば勝率は上がると思いますが、勝負に徹してリスク覚悟でダメ元で奇襲をかけてくる相手に対処できないケースがあるのも確かで、美しい柔道が常にベストとは言えないと思います。

将棋とSHOGI

将棋も柔道と同様に歴史・伝統があり、定跡と呼ばれる最上とされる手順、効率的で美しい手順があります。定跡を押さえることで棋力は上がります。柔道とは異なり、「美しい=強い」という方程式が比較的成り立つと思います。私も子供のときに定跡を教わり、徐々に強くなりました。外国人で将棋を指す人の数はまだ多くないので、SHOGIといった言葉は聞いたことがないです。今後、将棋が海外で普及してSHOGIが生まれたら面白いですが、定跡があるので、なかなか難しいかもしれません。

将棋の世界では、棋士のスタイルのことを棋風と呼び、格調が高いと評される郷田真隆王将、変幻自在な指し回しで忍者流と呼ばれる屋敷伸之九段など、プロ棋士それぞれに個性があります。しかし、棋風は定跡を押さえたうえで、実力が拮抗する中でのスタイルの差で、プロ棋士の差し回しはみな美しいです。丸山忠久九段は激辛流と評され、終盤に優勢な状況のときに、念には念を入れて絶対負けないように守りを固めたりします(穴熊に金銀をさらに足して負けることがないようにしてから攻める等)。このスタイルは前述のJUDOのような感じで、美しくない、つまらないと言われることがありますが、終盤に至るまでは定跡も使ってきれいに指します。そうしないと勝率は上がりません。序盤からずっとリスクを負わずに守るとか、逃げてばかりでは勝てません。

将棋は柔道と異なり、玉を取らないと勝てない、つまり一本を取らないと勝てないので、どこかでリスクを負って、守りを薄くしてでも、相手陣を攻める必要があります。相手を攻めずに、駒を意味なく動かして逃げるプロ棋士がいれば批判の対象になると思いますが、それをやるプロ棋士はいません。駒を意味なく動かしたら、その分損するだけ。その間に相手が攻めの態勢を整えて仕留めにくるでしょう。持ち時間を使い切ったら一手を打つための考慮時間がない、つまり秒読みがないアマチュア大会の将棋では、時間切れをねらって勝つことはできますが、プロの大会は30秒なりの秒読みがあるので時間切れで勝つことは難しいと思います。

人がやる限りSHOGIは生まれそうにないですが、将棋は柔道と違い、人以外もやります。そうです、コンピュータ将棋です。羽生 vs. AIで紹介しましたが、羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)は2016年5月末に第2期叡王戦への参戦を表明しました。人間から見てコンピュータの差し回しは美しくないです。定跡にとらわれず、過去の膨大な棋譜をインプットに、先入観なく、人間よりはるかに多くの手を読んだ結果として指されたコンピュータの手は、プロ棋士も見たことがない手ばかりです。定跡がなくなり混沌とする中盤以降は、多くの読みができるコンピューターのほうが優位と言われています。コンピューターの指すSHOGIにプロ棋士は太刀打ちできないのでしょうか?

羽生はいつもこう言う。将棋に闘争心は要らない、結果に一喜一憂しない、勝つことに意味はない……。それでも将棋を指し続けて来たのには、羽生の根幹にこんな思いがあるからだ。

「新しい発見を探している。将棋は一生懸命やれば必ず面白いドラマが生まれる。どうせやるなら面白いドラマを観たい」

将棋よりも難しいとされていた囲碁では、3月に世界最強の韓国人王者が完敗した。将棋ソフトはみずから「機械学習」するため、なぜこの手を指せたのか、開発者もわからない。途轍もないスピードで進化し続けるコンピュータに、羽生でさえ負ける可能性は高いのだ。

「負けた時の周囲の反応は、当然大きいだろうなとも思っています。ただこれ、将棋の手を決めるのと同じようなところがあるんですよ。この先どういう局面になるかわからないけど、とりあえず、先に手を選ばなきゃいけないという。正しいのか、メリットがあるのか、やってみないとわからない」

引用元:羽生善治45歳「負けることもある、それが人生」密着ロングインタビュー

勝負へのこだわりよりも、将棋の可能性や未知の領域に飛び出していきたいという好奇心が強く、それが羽生さんの強さに繋がっているのかもしれません。羽生さんはどのような戦術もこなすオールラウンダー。最新の戦型もどんどん取り入れます。美学や型は気にしないのかもしれません。すぐ負けるときもあれば、不利な状況からまさかの逆転勝ちをするときもあり、いつも魅了されます。羽生さんのSHOGIを超える手がみたいですね。

  • 勝負にこだわり、きたない手でも何でもやる
  • 自分のスタイル・美学を追求して勝つ
  • 好奇心で自己を超え、新しい世界を切り開き強くなる

いろいろな戦い方があります。勝負の世界は面白いですね!

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